おむらんちゃんTV トップ > 新着情報
新着情報
ジャンルで選ぶメニュー
2016年 2月10日(水)おおむら キリシタン巡礼
おおむら キリシタン巡礼
16世紀の大村は、日本で初めてキリシタン大名となった大村純忠(おおむらすみただ)が治めていました。領主の改宗によって、領民たちもキリスト教を信仰するようになり、その数6万人ともいわれています。
禁教令が発布されて、仏教徒になる領民も多くいましたが、厳しいキリシタン弾圧のなかにあっても、信仰を支えにキリスト教を守り続けるキリシタンたちがいました。
しかし、「郡崩れ」と呼ばれる潜伏キリシタン大発覚事件が起き、603人が捕まり、406人が処刑されました。
市内には、キリシタンの哀史を 今も史跡が物語っています。
仏の谷
萱瀬ダム下の山中の急斜面を登って行くと岩穴があり、ここが郡崩れの発端となったキリシタンの絵が隠されていた場所と言われています。
放虎原殉教地(斬罪所跡)
131人が一斉に処刑された放虎原殉教地は、県立大村工業高校の右手前方にあり、銅板のレリーフをはめ込んだ大きな殉教顕彰碑が建てられています。
妻子別れの石
受刑者たちは、ここで妻子と水盃を交して最後の別れを告げ、殉教地(斬罪所)へひかれていきました。
現在別れの石数個が残っており、俗に「涙石」とも呼ばれ今でも苔が生えないと伝えられています。
獄門所跡
郡崩れの際、処刑された131人の首を塩づけにして、ここで20日間晒(さらし)首にし、世人へのみせしめとしました。
今は白亜の無原罪の聖母像が建てられ、遠い昔の殉教者たちの霊をやさしく慰めています。
胴塚跡
131人の胴体は2カ所に穴を掘り埋めたと伝えられています。
150m南に青銅の祈りの像が建っています。
首塚跡
胴塚より北方約500m離れた榎の根元に殉教者131人の首を埋めたと伝えられています。